本日は、一昨日までのチョーシ探訪ネタの番外篇。東日本大震災が発生した2011年3月11日の夕方になってから津波で甚大な被害を被ったにも関わらず、当時は原発事故などの陰に隠れてしまい、ほとんど報道されていなかった九十九里浜最東端に位置する旭市(旧飯岡町)の防災資料館を見学した模様をお送りいたします。
↑おそらくは、現在旭市の嘱託職員なのであろうMさんは、まさに津波の生き字引。失礼ながら御高齢であるにも関わらず、大画面パソコンボードを的確に駆使して分かり易く御説明頂きました。御自身の体験から繰り出される「津波からどのようにして逃れるべきなのか」と云った逸話の数々からは感銘を受けるとともに、犠牲となられた方々に想いを馳せました。今日の無事は決してアタリマエでは無いと云うコトを、あらためて思い知らされた50分間でした。関東では、ココまで充実した内容を持つ震災系資料館はホカに無いようです。機会があれば、ぜひ皆さんもお越しになってみてくださいね。
それじゃー、また明日。
-------
愛車を御手放しになりたい方は、コチラ:車輛売却時にも、当店に持ってくるのが結局ラクでお得ヨ。マセラティじゃなくてもね。をどうぞ。
-------
マセラティでイッてみよう!Part2・Part3・V3(ヴイすりゃ~)・ア~マ~ゾ~ン(笑)!!・ストロンガーぁぁぁ!!を通したすべての過去記事への一気到達用ページへはコチラ:マセラティでイッてみよう! 過去記事月別アーカイブ(ストロンガーぁぁぁ!!版)からどうぞ(移動時間や昼休み、会議の合間のヒマつぶしにも最適ヨ!)
約30年前、広域農道からの少し入った「旭市イ」に住んでいた私ですが、まさかこの東日本大震災の際に八日市場にある工場勤務社員が飯岡、旭に住んでおり津波被災され、会社として災害見舞金支給を承認するとは思ってもみなかったです。
最近、色々な面で「語り部」の大切さを痛感しております。
連投すみません。
天皇皇后両陛下が被災地を最初に訪問されたのが旭、飯岡であり感涙に耽りました。
未曽有の大災害発生時には、何かと見過ごされがちな事も多々あり。
旭市もそうだったのですね。
災害を教訓に学ばねば。
本日、休暇を取得し静岡市出発am4:30、稲毛区役所到着am9:00。
除票入手後、一路、川崎市へ。
お昼前に区役所で除票を入手後、浜寿司さんで明日の接待の打ち合わせ。
また、電話でいろいろと指令を受け。
帰宅したのが19:00。
明日の決戦に備えて、もう寝ます。
すぐそばの蓮沼近辺は難を逃れました。
海中の地形に依るのでしょう。
祖母が南紀出身で東南海地震の津波の話をよく聞かせてくれました。
旭市防災資料館、大変参考になりました。
津波は、水深が深いホドに超速となると云う・・・ワタシも知らなかったです。
機会があれば訪れてみたい場所です。
今こうして生活できていることに、あらためて感謝をします。人の優しさがわかりますね。
後出しコメント:津波の恐ろしさは想像以上ですね。旭市がそんな被害にあっているとは知りませんでした。語り部の存在は重要です。