昭和婦女子からの置き土産。

 昨日は、想像してた以上にハードな移動の日曜日となったため(やっぱトシあるね:泣笑)、今日は一日中、原則的に部屋でゴロゴロしておりました。時々アパートの部屋から実家スペースに顔を出しては線香を立てたりする折に、「たこちゃん、押し入れから面白いモノが出て来たのヨ」とヨメ姉妹が次々とネタ(笑)を提供してくれたモンで・・・

本日も、たこヨメ実家内のアチコチからアレコレを発掘(笑)中なんですが・・・
「高級 御へら・・・御へら・・・基?」でイイのかなぁ。
ちょっと調べてみたら、御裁縫基とも云って、和裁に不可欠なへら台らしい。
なんだか、しっかりした造り。裏表紙(?)には、色々な家紋のサンプルも。
横書きが左側からなんで、戦後のモノでしょう。メートル法をクドクドと説明。
へら台となる面の裏側には、こんな図面がたくさん描いてあります。
和装の品目に拠って、生地の歩留まりを計算され尽くした図面のようです。
反物って、おそらく幅が定尺なんでしょうね。極めて合理的な考え方に驚嘆。
へら台側の面には、無数に彫られたへらの跡。義母が昭和に生きた証をとどめます。
続いては、「スタイルデザインブック」とありますが・・・
「澤田文具」は往年のメーカー名なのか、それとも文房具屋さんの屋号なのか・・・
開いてみますと・・・「あら、キレイ!」
すべてのページが方眼紙となっており、実践的に完成イメージを得られるように。
たこヨメ用に作られたセーターの設計図。実際に着てたそーですヨ。
編み物って、幾何学なんですね。計算式やらグラフ(?)がたくさん。
ページを捲ってまいりましたら、いきなり縦書きのコーナーも。
黒板とか教科書から書き写したモノでしょう。今じゃ「スマホでピっ」ですが。
「コレなんか、たこちゃんが好きそうヨ」と・・・
ナニやら厳めしい封筒(ナンでコレ?:笑)から出てきたのは・・・
1981年に開かれた同窓会での一大プロジェクトだったそうで・・・
当時、麹町(千代田区)に住んでいた人々の記憶を結集して描かれた地図なんです。
今じゃ味気無いビルが立ち並ぶ麹町にも、ムカシは庶民の生活があったようで・・・
コイやフナが釣れる池が在ったなんてねぇ。
当時コドモだった方々の記憶ですから、遊び場の記述が多くて微笑ましい。
画像を拡大して読んでみてください。当時のワルガキたちの声が聴こえて来るようです。
義母が書き綴った「私の昭和」と題した文章も出て来ました。まずは2・26事件の体験談。
戦時中の麹町も、今と同様に国にとっては枢要なエリアだったのが窺えます。
女学生時代には勤労奉仕で飛行機用のキャブレター工場に動員されてたらしいです。
まさに昭和初期から戦時中の暮らしと帝都の惨禍を知る、生き証人の一人です。
こんな入賞盾も出てまいりまして・・・
「きっと、コレのコトだナ・・・」
合本の中には「一滴の油に」と題した、著者直筆原稿(笑)が・・・
ワタシがたこヨメと出会った時に、既に義父は故人となってました。
コレ書いたのは齢66の時なんで、その後28年で今日に至る、と。大往生デスね。
たこヨメが郵便局へ行くと云うんで・・・
ついて行きましたが、看板にイツワリあって、ぜぇ~んせん駅前ぢゃない(泣笑)。
・・・と、対面を見れば、「おおー!」
・・・で、また来ちゃいました(笑)。
今日の鰻はデカかった。半身のハズな「梅」でもこの大きさ。
ですから「松」ともなれば、ハミ出てるわ重なってるわの大ボリューム(喜)!
今日も冷や酒で献盃いたしました。

 同じく「昭和」と申しましても、前半・中盤・後半で、時代相が大きく異なりますね。近頃のワタシが会うヒト毎にハナシをしてるのは、「日本史や世界史の授業なんて、ほとんどファンタジーかフィクション」って説(笑)です。たった数十年前の出来事すら正確に掴めないのは、たった我が60年の人生経験の中からも既に明らか。ワタシも今のウチに、「昭和中期に生まれたガキ」の視点から、自らの生きた時代を何らかのカタチで残しておこうと思ってます。デジタル技術は、膨大なデータ量となる色々な事象を様々なメディアとして保存可能としましたが、ひとつ間違えれば一瞬にして消えてしまいますからね。また、各メディア媒体の寿命だって分かったモンじゃありません。あ、せめてAIが修復してくれるのに一縷の望みを賭けようか・・・までも、勝てば官軍。後世になったら、結局またダレかの都合のイイように弄られて行くんでしょうケドね。ですから本当に大切なのは、今この目の前に在るリアルな一瞬とか手触りだと思ってますヨ。その実体験すらも、そのうちアヤフヤになって、自らの中で熟成・美化・捏造された(泣笑)キオクに書き換えられましょうケドも。

 それじゃー、また明日。

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“昭和婦女子からの置き土産。” への9件の返信

  1. いや~いいもの読まさせていただきました。
    昭和後期生まれのひよっことしては、ただただ感慨深く、かつ、当時の人間の逞しさに驚嘆するだけです。
    麹町なんていう場所は、仕事柄とてもかかわりがあるのですが、今や、人間味のない街というか、なんというか…
    かつては元気なガキどもが遊び回る普通の街だったのですね。
    全く想像もつきませんが。
    戦争関係はもう、実際に体験した人にしか分かりえないことですね。小学校に上がる前の2.26体験を克明に覚えていらっしゃるあたり、聡明な方だったのでしょう。
    改めてご冥福をお祈りいたします。
    (和裁の合理的なシステムはよく知りませんでしたが、いやはや知恵の結晶で、すごいですね)

  2. 義母さまの暖かく几帳面で穏やかなお人柄が垣間見えるお品を拝見させて頂きました。
    たこヨメさま、セーターの設計図はお宝ですね。
    かけがえのない品だと思います。

  3. 紙とペンが、アナログがデジタルの現代で、結局のところ最高だと思います。記録や書いた方の気持ちが伝わる気がします。

  4. 遺してくれたモノを次世代に受け継いで行きたいものですね。
    改めて御冥福をお祈りします。

  5. たこヨメさまのお母様の文章、力強くて明瞭で、とてもしっかりとした文章で、こんな文章を書ける事って素敵です。
    日々、酔っぱらいながら支離滅裂なコメントをしている身としては、このようにしっかりとした文章が書けるオトナになりたひ。
    ああっ、毎度ながらウナ重の、梅の半身を折り曲げた姿と言い、松の折り重なるわはみ出るわ、だったりが。
    とってもセクシーであります。
    美味しそう💕

  6. 義お母様の暖かさとたこ読めさまへの「想い」が伝わる逸品でしょうか。
    久留米にもいらっしゃったのですよね。。。

    きっと今も、たこちゃんとたこ嫁さまを暖かく見守ってくれていると思います。

  7. 「私の昭和」と「一滴の油に」と言い、読みごたえのある文章ですね。麹町、半蔵門、四谷辺りの東京大空襲の様子が浮かびます、空襲あっても工場に行っていたのですね。

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